Vol.14 中学受験は親の「エゴ」②
昼夜逆転物語、ろば日記です。
①では4年生のときまでを書いたので、今日は5年生のときについて書いていきます。
3.5年生のとき
5年生のときもそれまでと変わらず月水の17時から19時まで、土曜は他校舎に行って9時から12時まで通いました。
成績は相変わらず悪く、土曜の大人数の授業では毎回後ろの方の席でした(成績順に前から座る指定席スタイル)。
普段の校舎は僕を含めて2人しかいなく、頻繁に新しい生徒が入塾するのですがすぐにやめていくことが多かったです。6年生の春夏くらいからはついにぼっちでした。
ただ、土曜は10人くらいの生徒がいて、そんな生活を1年近く続けていたのでだんだんとその校舎で友達ができるようになります。
結局、その校舎から同じ中学に通うことになる子もいて、彼とは今でも友達です。
そんなこんなで土曜の授業はテストもあって嫌な反面、友達に会えたので楽しかった思い出があります。
一方で、さっきも書いたように月水はいつメンが僕ともう一人女の子の2人だけで、しかも大して話さず(やっぱ2人だけだと緊張して離せないっすね)、新しく来た新入生もすぐにやめていく始末。平日はつまらなかったです…。
そんな5年生は一大イベント、地獄の夏季講習&冬期講習そして夏合宿がありました。
夏期講習と冬期講習はそれまでよりももっと大きな校舎に朝から夕方まで拘束されます。小学5年生の僕は夏休みの毎日を回数切符片手に御器所や大曽根まで通いました。
冬休みも寒いなか毎日通いました。
しんどくはあったんですけど、そこでできた友達もいて、そんなに悪い思い出はなかった記憶があります。ただ、授業にはついていけず、当てられても答えられず、教室内の生徒が多いだけにいろいろ恥ずかしかったです。
そして夏合宿です。
僕の通っていた塾では夏合宿があり、箱根に3泊ほど勉強合宿を行うイベントがありました。
4年生は任意だったのでもちろん不参加。絶対行くかよって感じでした。
ところがどっこい、5年生からは強制参加。どうしても行きたくなかった僕は母親に懇願し、いろいろ理由をつけてもらってサボりました。
母親は、塾へしんどそうにかよう僕をみて仕方ないと思ったのでしょう。というより、後から聞いたら母親もなんで中学受験させるの?って感じだったので、僕の中学受験は親父の独断だったぽいです。
夏合宿に行かないことを塾の先生にはなしたら、あきれ顔をされたのを今でもよく覚えています。根本的にやる気がなかったんでしょうね。成績もわるいし。
そんな5年生を僕は送っていました。小学校では野球部に入っても、塾のためにほとんど参加できず…。試合で活躍するクラスメイトが羨ましかったです。
塾に通う時間になると頭が痛くなり、それでも尻をたたかれながら塾までチャリをを走らせました。
唯一の救いは大きな校舎でできた友達ですね。彼らと授業の合間や行き帰りの道で話すのが楽しくて何とか通うことができていました。
そして6年生がやってきます。とうとう周りがいなくなり個別指導になった僕に救世主が現れます。
ではまた。
2021.01.18