Vol.15 中学受験は親の「エゴ」③
大学生活最後の授業が終わりました、ろば日記です。
今日は僕の中学受験6年生編を書いていきたいと思います。
4.6年生のとき
6年生になると、授業の時間が変わりました。それまで月水の17時から19時、土曜の9時から12時だったのが、週3は変わらず火木の19時から22時まで、土曜の13時から18時までになりました。
これは僕にとってありがたいものでした。というのも、平日が19時からになったことで小学校の野球部に参加できるようになったんです。
もう毎日が最高でした。雨が降って練習が中止になったときは、めちゃくちゃ残念がってた記憶があります。
結局、6年生の時は試合に出してもらうことができて、すべての試合で4番を任せてもらえました。いま思うと、輝いていましたね~。
そんなこんなで部活に参加し、へとへとになりながらも塾に通いました。野球があったからこそ、勉強も頑張れたと思います。
ただ、19時から授業ではあったのですが、本当は17時から予習復習を塾でしなければならない決まりになっていました。
そのため、普通であれば17時から塾へ行き、18時半ごろに弁当を食べて19時から授業開始という流れでした。
しかし、野球をしたくて仕方なかった僕はそんなのはガン無視。
しかも、5年生ごろからは課された宿題も一切やらなくなっていて、当初は宿題を忘れた僕を叱っていた先生も6年生になるとすでに諦めていて、なにも言われなくなりました。
最初は僕も「あれ~やったんだけどカバンに入ってない~」なんてよくあるサボり文句をかましていたのですが、途中からは「宿題?なにそれおいしいの?」状態でした。
よくもまあこんなナメた態度をとる小6相手に授業をしてくれたと思います。
勉強は塾でだけ。家ではなんにもしなかったので、そりゃあ成績は上がりません。
当時の僕は中学受験生なら当たり前のようにできる「つるかめ算」もろくにできませんでした。
そして迎えた夏休み、この年は朝から晩まで大規模な校舎に毎日拘束されました。なんでこんなに勉強しないといけないんだと嘆きつつも、教室には僕と同じくらいのレベルの生徒がたくさんいたので、友達もできて楽しかったです。
そしてそして、とうとう地獄の夏合宿がやってきます。
小6の夏はこれまでのように逃れることはできず、4日間箱根送りの刑に処せられました。行きのバス車内からすでに勉強モードで吐きそうでした。
毎日12時間、箱根のホテルに監禁されて勉強です。各日一番最後の授業はテストになっていて、合格点に満たないと部屋に帰って寝られませんでした。
そのため、ズルして合格したことにしていました。バレたらまずかったですね。
朝起きて、まず体育館に集められて漢字・計算。それから間もなく勉強勉強勉強。つかの間の昼休みを挟んで勉強勉強勉強。夕食後も勉強勉強勉強。もう感情はありません。
ただ、朝ご飯を外でピクニックのようにして食べたり、体育館でちょっと頭を使ったレクをしたり、と楽しいイベントもありました。
部屋は大部屋で、だいたい同じレベルの子が収容されているので、話も志望校も合って,
そこは楽しかったです。
それでも、一度だけ与えられた昼寝の時間が20分は短すぎるでしょ。半日はくれや。
なんとか夏合宿を乗り切りました。箱根といえば一般的に温泉や観光で有名ですが、僕にとっては箱根=勉強合宿です。これは一生このままでしょう。
夏休みが明けました。気づけば普段平日に通っている校舎の生徒は僕一人になってしまいました。これまで何度も入れ替わりで仲間が増えましたが、とうとうぼっちになってしまいました。
集団授業のはずなのになぜか個別指導に。というのも、すぐ近くに人気な塾があってみんなそっちに通っていたんです。僕の小学校のイケメン君がそこに通っていたので、彼めあて?の人たちがみんなそっちに通う始末。僕だけで孤軍奮闘です。
しかも、帰りの時間がその人気な塾と被ることが多く、その集団に遭遇することがあり、なんだか気まずかったです。そんな時は、「絶対受かってイケメンで釣られるアイツらを見返してやる!」と思うようになっていました。
お分かりのように、このころには、「こうなったらやってやるぞっ」ってなってたんですね。いつの間にスイッチが入ったのやら…。
5.救世主
そんなやる気スイッチを押してくれたのはある先生でした。
算数と理科を受け持つある先生が6年生の最初か5年生の終わりのころに僕の校舎の担当になったのですが、その方が1年間にわたって根気強く僕の面倒を見てくれました。
6年生になっても相変わらず塾をサボりがちだったのですが、そのころには個別指導状態になっていたので先生としても急に暇になるわけです。
そのため、ブッチすると家に電話がかかってきて「今からでもいいから来いよ~」とよく言われました。残り1時間しかない21時くらいから塾に行った覚えもあります。
そんな先生は、僕がわからないところを何回も何回も教えてくれて、その先生のおかげで「つるかめ算」ができるようになりました。
通常であれば、集団指導の塾で一人しか生徒がいないと人件費の問題で別の校舎に移すのですが、その先生は「僕を移すと僕がやる気をなくすから、このまま同じ校舎にとどめてほしい」と上の人に掛け合ってくれたらしく、ほんとに何から何まで手厚く見てくれました。
いまはもうその塾にはいないようなのですが、いつか会って感謝を伝えたいものです。
そんなこんなで徐々にやる気を出さざるを得なかった出してきた僕はついに冬休み、そして試験本番を迎えます。
相変わらず第一志望の合格率は低いまま。周囲の期待値を下げながら試験に突入していきます。
ではまた。
2021.01.19