Vol.17 中学受験は親の「エゴ」④

映画の良さに気づいた、ろば日記です。

 

6.年末年始

小学6年生の冬を迎え、ついに中学受験人生も佳境を迎えます。

冬期講習は相変わらず大きな校舎に毎日缶詰。見慣れた友達も増えてきました。

 

この時期になると、やはり周りはピリついていたようで、一方で少し精神が乱れてしまった子もいました。

ある日のことなのですが、女子トイレの個室に「私の受験人生は終わった」という張り紙がされていたようで、先生たちはめちゃめちゃ怒っていました。

中学受験もその生徒ごとにいろいろな背景があるわけで、プレッシャーに耐えられずに書いてしまったのかもしれません…。

自分で言うのもなんですが、僕は塾でできた友達と毎日会うのが楽しくて正直なんのプレッシャーも感じていませんでした。どこか割り切っていたのかもしれませんね。

 

そして、とうとう、ついにきた、正月合宿。

年をまたいで4泊5日、市内のホテルに監禁合宿です。

開会式の全体集会では「がんばるぞ、おー!」と暑苦しい演出。

テレビ局も取材に来て、僕は少しだけニュースで流れた映像に映りました。いい思い出ですね?

そしてなんといっても、その合宿では参加者全員が「必勝、合格」と書かれた鉢巻を頭に巻いて5日間を過ごしました。しかも一日15時間勉強…。

今思えば、すごいことやっていたなと思いますね。

 

しかも、年をまたぐので、「お正月?なにそれ美味しいの?」状態です。

僕の中学受験人生のハイライトは正月合宿かもしれません。

ビジホに閉じ込められ、5日間一度も風呂に入らなかった友人と相部屋で過ごす。

なかなかに青春していたかもしれません。

もちろん、この正月合宿もイヤイヤ参加していたのですが、この年末年始があるからこその今の自分だなとも思うので今では感謝しています。

 

そして、ついに受験本番を迎えます。

僕が受験したのは4校。激動の1か月が幕を開けます。

 

ではまた。

2021.02.04

 

Vol.16 興味関心のわかれみち

朝寝昼起き、ろば日記です。

 

先日、大学の授業をきいていて考えたことをちょっと書いてみようと思います。

その授業はアフリカ地域研究を主に扱っており、アフリカに関する授業自体珍しいと思います。僕は来年からそれに近いことを勉強するために履修したのですが…。

 

その授業の最終回で先生が「今まで扱った授業のことは覚えていなくて構わないので、これから日常で耳にした、目にしたアフリカに関する事柄に「お?」と反応できる、勘所をつかめるようになってほしい」と話されていて、確かにな~と思いました。

 

というのも、この「勘所」とやらについては多くの方が経験されたことがあると思うんです。

例えば。

街なかの至るところで流れる音楽。流れているのはわかるけど、馬耳東風状態で特に耳にも入ってこない方は多いと思います。

ただ、あるとき友人が聴いていて偶然頭に残っていた音楽が街なかで流れていると、「お、これ知ってる~」ってなりますよね。そしてそれが耳から離れなくなる、と。

 

それまで興味関心のきの字もなかったものが、少し知っているだけで反応できるようになる。

これが先生の言いたかった「勘所」だと思います。

 

つまり、興味関心を持つかどうかって、ちょっと知っている、ちょっとやってみたところから始まると思うんです。

逆にいえば、やってもいない、知りもしないのに「興味ない」と決めつけるのはちょっと早いんじゃないかな?と。

 

僕自身にこれは言い聞かせたいのですが、僕はこれまでディズニーに一度も行ったことがありません。

行こうと思えば行けるときは今までいくらでもあったんですが、行きませんでした。

というのも、「あんな着ぐるみが必死に踊っているの観て何が面白いんだよ?」「夢の国?なにそれおいしいの?」という冷めた見方をしていて、今思えばつまらないことを言っていたな~って思います。

 

やっぱり一度行ってから、やってみてから、少し知ってから興味関心の有無をみるべきだったなと反省しています。

だからといって、明日ディズニー行くかって聞かれたら…う~ん…。

 

ではまた。

2021.1.24

Vol.15 中学受験は親の「エゴ」③

大学生活最後の授業が終わりました、ろば日記です。

 

今日は僕の中学受験6年生編を書いていきたいと思います。

 

4.6年生のとき

6年生になると、授業の時間が変わりました。それまで月水の17時から19時、土曜の9時から12時だったのが、週3は変わらず火木の19時から22時まで、土曜の13時から18時までになりました。

これは僕にとってありがたいものでした。というのも、平日が19時からになったことで小学校の野球部に参加できるようになったんです。

もう毎日が最高でした。雨が降って練習が中止になったときは、めちゃくちゃ残念がってた記憶があります。

結局、6年生の時は試合に出してもらうことができて、すべての試合で4番を任せてもらえました。いま思うと、輝いていましたね~。

 

そんなこんなで部活に参加し、へとへとになりながらも塾に通いました。野球があったからこそ、勉強も頑張れたと思います。

ただ、19時から授業ではあったのですが、本当は17時から予習復習を塾でしなければならない決まりになっていました。

そのため、普通であれば17時から塾へ行き、18時半ごろに弁当を食べて19時から授業開始という流れでした。

しかし、野球をしたくて仕方なかった僕はそんなのはガン無視。

しかも、5年生ごろからは課された宿題も一切やらなくなっていて、当初は宿題を忘れた僕を叱っていた先生も6年生になるとすでに諦めていて、なにも言われなくなりました。

最初は僕も「あれ~やったんだけどカバンに入ってない~」なんてよくあるサボり文句をかましていたのですが、途中からは「宿題?なにそれおいしいの?」状態でした。

よくもまあこんなナメた態度をとる小6相手に授業をしてくれたと思います。

 

勉強は塾でだけ。家ではなんにもしなかったので、そりゃあ成績は上がりません。

当時の僕は中学受験生なら当たり前のようにできる「つるかめ算」もろくにできませんでした。

 

そして迎えた夏休み、この年は朝から晩まで大規模な校舎に毎日拘束されました。なんでこんなに勉強しないといけないんだと嘆きつつも、教室には僕と同じくらいのレベルの生徒がたくさんいたので、友達もできて楽しかったです。

そしてそして、とうとう地獄の夏合宿がやってきます。

小6の夏はこれまでのように逃れることはできず、4日間箱根送りの刑に処せられました。行きのバス車内からすでに勉強モードで吐きそうでした。

毎日12時間、箱根のホテルに監禁されて勉強です。各日一番最後の授業はテストになっていて、合格点に満たないと部屋に帰って寝られませんでした。

そのため、ズルして合格したことにしていました。バレたらまずかったですね。

朝起きて、まず体育館に集められて漢字・計算。それから間もなく勉強勉強勉強。つかの間の昼休みを挟んで勉強勉強勉強。夕食後も勉強勉強勉強。もう感情はありません。

 

ただ、朝ご飯を外でピクニックのようにして食べたり、体育館でちょっと頭を使ったレクをしたり、と楽しいイベントもありました。

部屋は大部屋で、だいたい同じレベルの子が収容されているので、話も志望校も合って,

そこは楽しかったです。

それでも、一度だけ与えられた昼寝の時間が20分は短すぎるでしょ。半日はくれや。

なんとか夏合宿を乗り切りました。箱根といえば一般的に温泉や観光で有名ですが、僕にとっては箱根=勉強合宿です。これは一生このままでしょう。

 

夏休みが明けました。気づけば普段平日に通っている校舎の生徒は僕一人になってしまいました。これまで何度も入れ替わりで仲間が増えましたが、とうとうぼっちになってしまいました。

集団授業のはずなのになぜか個別指導に。というのも、すぐ近くに人気な塾があってみんなそっちに通っていたんです。僕の小学校のイケメン君がそこに通っていたので、彼めあて?の人たちがみんなそっちに通う始末。僕だけで孤軍奮闘です。

しかも、帰りの時間がその人気な塾と被ることが多く、その集団に遭遇することがあり、なんだか気まずかったです。そんな時は、「絶対受かってイケメンで釣られるアイツらを見返してやる!」と思うようになっていました。

お分かりのように、このころには、「こうなったらやってやるぞっ」ってなってたんですね。いつの間にスイッチが入ったのやら…。

 

5.救世主

そんなやる気スイッチを押してくれたのはある先生でした。

算数と理科を受け持つある先生が6年生の最初か5年生の終わりのころに僕の校舎の担当になったのですが、その方が1年間にわたって根気強く僕の面倒を見てくれました。

6年生になっても相変わらず塾をサボりがちだったのですが、そのころには個別指導状態になっていたので先生としても急に暇になるわけです。

そのため、ブッチすると家に電話がかかってきて「今からでもいいから来いよ~」とよく言われました。残り1時間しかない21時くらいから塾に行った覚えもあります。

そんな先生は、僕がわからないところを何回も何回も教えてくれて、その先生のおかげで「つるかめ算」ができるようになりました。

 

通常であれば、集団指導の塾で一人しか生徒がいないと人件費の問題で別の校舎に移すのですが、その先生は「僕を移すと僕がやる気をなくすから、このまま同じ校舎にとどめてほしい」と上の人に掛け合ってくれたらしく、ほんとに何から何まで手厚く見てくれました。

 

いまはもうその塾にはいないようなのですが、いつか会って感謝を伝えたいものです。

 

そんなこんなで徐々にやる気を出さざるを得なかった出してきた僕はついに冬休み、そして試験本番を迎えます。

相変わらず第一志望の合格率は低いまま。周囲の期待値を下げながら試験に突入していきます。

 

ではまた。

2021.01.19

 

 

 

 

Vol.14 中学受験は親の「エゴ」②

昼夜逆転物語、ろば日記です。

 

①では4年生のときまでを書いたので、今日は5年生のときについて書いていきます。

 

 3.5年生のとき

5年生のときもそれまでと変わらず月水の17時から19時まで、土曜は他校舎に行って9時から12時まで通いました。

成績は相変わらず悪く、土曜の大人数の授業では毎回後ろの方の席でした(成績順に前から座る指定席スタイル)。

普段の校舎は僕を含めて2人しかいなく、頻繁に新しい生徒が入塾するのですがすぐにやめていくことが多かったです。6年生の春夏くらいからはついにぼっちでした。

 

ただ、土曜は10人くらいの生徒がいて、そんな生活を1年近く続けていたのでだんだんとその校舎で友達ができるようになります。

結局、その校舎から同じ中学に通うことになる子もいて、彼とは今でも友達です。

そんなこんなで土曜の授業はテストもあって嫌な反面、友達に会えたので楽しかった思い出があります。

 

一方で、さっきも書いたように月水はいつメンが僕ともう一人女の子の2人だけで、しかも大して話さず(やっぱ2人だけだと緊張して離せないっすね)、新しく来た新入生もすぐにやめていく始末。平日はつまらなかったです…。

 

そんな5年生は一大イベント、地獄の夏季講習&冬期講習そして夏合宿がありました。

夏期講習と冬期講習はそれまでよりももっと大きな校舎に朝から夕方まで拘束されます。小学5年生の僕は夏休みの毎日を回数切符片手に御器所大曽根まで通いました。

冬休みも寒いなか毎日通いました。

しんどくはあったんですけど、そこでできた友達もいて、そんなに悪い思い出はなかった記憶があります。ただ、授業にはついていけず、当てられても答えられず、教室内の生徒が多いだけにいろいろ恥ずかしかったです。

そして夏合宿です。

僕の通っていた塾では夏合宿があり、箱根に3泊ほど勉強合宿を行うイベントがありました。

4年生は任意だったのでもちろん不参加。絶対行くかよって感じでした。

ところがどっこい、5年生からは強制参加。どうしても行きたくなかった僕は母親に懇願し、いろいろ理由をつけてもらってサボりました。

母親は、塾へしんどそうにかよう僕をみて仕方ないと思ったのでしょう。というより、後から聞いたら母親もなんで中学受験させるの?って感じだったので、僕の中学受験は親父の独断だったぽいです。

夏合宿に行かないことを塾の先生にはなしたら、あきれ顔をされたのを今でもよく覚えています。根本的にやる気がなかったんでしょうね。成績もわるいし。

 

そんな5年生を僕は送っていました。小学校では野球部に入っても、塾のためにほとんど参加できず…。試合で活躍するクラスメイトが羨ましかったです。

塾に通う時間になると頭が痛くなり、それでも尻をたたかれながら塾までチャリをを走らせました。

 

唯一の救いは大きな校舎でできた友達ですね。彼らと授業の合間や行き帰りの道で話すのが楽しくて何とか通うことができていました。

 

そして6年生がやってきます。とうとう周りがいなくなり個別指導になった僕に救世主が現れます。

 

ではまた。

2021.01.18

 

 

Vol.13 共通テスト

引越しのダンボールが届きました、ろば日記です。

 

昨日今日と共通テストがありました。受験生の方々には、今日はゆっくり休んでもらいたいです。

Twitterのトレンドで「自己採点」があがっていたので、ちょこっと覗いてみると多くの受験生が自己採点の結果を載せていました。

一浪して今年は結果を出せた人、思うような結果が出せなかった人など、本当にさまざまです。

ただ、どんな結果であったにしろこれまで勉強してきたことをこの2日間にぶつけたものが点数という形となって表れているのをみると、彼らめちゃくちゃかっこいいです…。

なんていうか、この2日間を戦い抜いたというか、受験生の今までの努力がそこにみえる気がして。めちゃ青春してるなって思います。

 

僕自身も、4年前の2017年にセンター試験を受けたんですけど、私立専願だったので試験は1日目だけで終了。そして試験そのものも失敗してセンター利用は全て落ちました…。家に帰り一人部屋にこもって自己採点した時は、問題用紙に×がついていく度に「あ~おわった…あ~おわった…」とつぶやいていました。

そんな経験もあるので、5教科7科目を2日間で解き抜く受験生ってほんとにかっこいいし、青春しているし、自分にはできないなって思います。

そんな人生をかけて臨む体験ってなかなかできないと思いますし、受験生一人ひとりが主人公な感じがします。

 

2次試験や私立入試も持てる力を全てぶつけてほしいです。

また大学受験についてもいつか書ければなって思います。

とりあえず、2日間お疲れ様です。

 

ではまた。

2021.01.17

Vol.12 プチお得

初の一日2投稿、ろば日記です。

 

今日の帰り道、ちょっとイイことがありました。

いつものように大学図書館を22時に出て40分ほど電車に揺られながら家の最寄り駅に着いたんです。

駅前に中華料理・翔チャンという店があるんですが、そこでは最近、パック詰めした中華料理を1パック400円、3パック1000円で店先に並べて売ってるんです。いつもそこのスピーカーからは店のおばちゃんのヘタクソな日本語で「いらっしゃいましぇ~ちゅかりょりいかがでしゅか~、いらっしゃいましぇ~、いらっしゃいましょ~」が大音量かつエンドレスで流れているんです(「いらっしゃいましょ~」ってなに…)。

しかも、夜遅くになると半額セール。「は~んがくぅ、は~んがくぅ、いらっしゃいましょ~」が静まり返った駅前に響き渡ります。

いつもその店先を覗いて帰るのが癖なのですが、今日はチャーハン×2、麻婆豆腐丼×1、ビーフン×1、謎の肉×1の計5パックが残ってました。しかも半額で。

 

いつものように覗いて過ぎ去ったんですが、どうもチャーハンが気になって…。

しばらくしてから引き返して店まで戻りました。「今日は買うか」って。

 

店の前まで戻っていつものフェイスシールドおばちゃんに、「チャーハン、麻婆丼ビーフンちょうだい。あと、この謎の肉なに?」って聞くと、「シュペアリビュだヨ」と言ってきてさらに「残った2つ合わせてぜんびゅで700円でどう?」って。

ただでさえ半額なのに、そこに2パック加えて全部で700円!

なんかお得な気分、引き返してよかったです。

 

家に帰ってからいつものようにyoutubeをみながら食べました。

あと3パックあるので明日の昼ができました。

 

気になったら、動いてみるものですね。

 

ではまた。

2021.01.14

Vol.11 中学受験は親の「エゴ」①

最近腰回りの肉の主張が激しい、ろば日記です。

 

今日は特に何も起きなかったので、これまでの人生を振り返ってみようと思います。

というわけで中学受験の話でも…。

 

1.中学受験は親のエゴ?

僕は愛知県の私立中学を受験しました。というより、「受験させられた」のほうが正しいかもです。

というのも、中学受験ってほとんど親の「エゴ」じゃないですか?(そんなことなかったらすみません)

自分(親)が中学受験をしたから、ご近所さんの子供の多くが中学受験をしているから、などなど。

それが積極的な理由かそうでないかは置いておいて、自分自身の100%自発的な意志によって中学受験をした人ってそう多くはないと思います。

「いや、僕は私は自分で行きたいと思ったから中学受験したんだし」っていう人ももちろんいるとは思いますが、よくよく聞いていくときっかけは親にあったり。

かく言う僕もその一人です。僕の場合は父親が中学受験を経験していて、自分の息子にもってことで小学4年生の僕は事情も聞かされないまま中学受験塾に放り込まれました。

 

2.小学4年生のとき

それまで、学校が終わったら友達と公園で野球、帰ったあとは夕飯ができるまでアニメを観て、そのあともテレビを観たりDSで遊んだりといったよくある小学生坊主の生活をしていた僕にとって週3回、17時から19時まで塾に通うというのは苦痛以外の何物でもなかったです。

しかも、頭がよくないので全く授業についていけず…。「割り算の筆算ってなに?天体の動きとか知らんのだけど」な状態でした。

家に帰ると課せられた大量の宿題をこなさなければならず、親に付き添われながらやりました。

ところがどっこい、大人の親からしたら割り算の筆算がわからないこと自体がわからないのですね(いまの自分もそう、割り算の筆算ができない気持ちが理解できない)。

「なんでこんなこともできんの!」とことあるごとに怒られながら泣く泣く宿題をやらされました。

それまであった遊び中心の生活は一変し、行きたくもない塾に行かされ、「今日公園で野球しようぜ!」と学校で誘われても「ごめん、今日は塾があって…」と断らざるを得ない毎日を送りました。

 

月水土と塾があり、土曜は大規模な校舎で朝9時から週間テストでした。

土日は父親が仕事休みで家にいて、よく土曜日は車で送り迎えをしてくれました。しかしどうしても行きたくない僕は、外で車を用意して待つ親父に反旗を翻し布団にくるんで籠城を仕掛けることもありました。

様子を見に来た父親によって籠城戦はあっさり敗北…。小学4年生の僕はブチギレ親父に一瞬で怯み、身軽な大将は抱えられあっけなく車で連行されました。今でもよく覚えています。

 

本当、毎日がしんどかったです。学校にいるときと塾のない日は楽しかったのですが、塾のある日(月水土)は朝から体がしんどく、憂鬱な日々でした。

塾に行きたくないがために、籠城戦のほかにもいろんな戦を仕掛けました。

嘘か本当かもわからないような症状を訴えて保健室に行って早退を勝ち取ることで塾を休もうとしたり(小学4年生の通知表を見ると早退の多さに今でもびっくりします)、部屋の明かりを消してカーテンも閉めて机上に「今日塾休む」の宣戦布告書を残したり。まあほとんど失敗しして、結局塾送りの刑になったんですけどね。

 

そんなこんなで憂鬱な塾通いの日々、そして一向に上がらない成績。親父は愛知県ではかなり上位の私立中学に通っていて、息子にも同じようにそこへ通わせたかったらしいですが、出来の悪い息子に到底そんな学力はなく…。

決まって模試ではじき出される合格率は20%未満…。周囲の期待が落ちていくのを小学4年生なりにも感じられました。

 

突然訳も分からず放り込まれた「中学受験塾」という存在は、それまで遊び盛りだった僕の生活を一変させました。

今思えば、せめて塾に入れる理由や本人の意思確認くらいはしてほしかったです。

 

ちょちょっと書くつもりだったんですが、思い出すたびにどんどん延びてしまったので何回かに分けて書いていこうと思います。

次は小学5年生編かな?

 

ではまた。

2021.01.14